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みなさん、はじめまして。ノース・ヒルの五行といいます。
このブログを見に来てくれてありがとうございます。

それでは、あなたへの質問です。
「あなたは、もしかしたらライターになりたい」と思っていますね?
図星ですか? え? そうでもない?

まあ、ここを見に来られるということは、
やはり、この世界の仲間になりたいってことですよね。
ようこそ、未来のライターさん。
もし、あなたが弊社ノース・ヒルに入社されたら未来の同僚さんですね。歓迎いたします。

え? そういうあなたもライターではないのか?ですって?
いいえ。私はライターではありません。
私は、弊社にたった「一人」だけの「校正・校閲社員」なのです。

え?「一人しかいないの?」ですって?
ふふふ。そうなのです。

自分で言うのもなんですが… なかなかユニークな立ち位置にいる人間なのです。
では、なぜ私のような社員が在籍しているのを、簡単にお話ししますね。

「一人」校正・校閲社員が行っている作業内容とは?

え? 一人で会社の「全部の制作物の校正」をしているのか ?ですって?
そんなにたくさん「一人」でできるわけないぢやあ(旧仮名遣い=つげ義春風)ありませんか(笑)。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、あらゆる制作物の 「校正」は、主に「ライター」が担当します。

「じゃあ、ライターが校正をやっているのなら、ユーはなにをしているのか?」に答えますと、社内では「専門校正」とか「プロ校正(プロ校)」 と呼ばれる――全体のバランスを把握している「ライター的な視点」とは異なる――「校正・校閲に特化したより専門的な確認作業」をしています(その段階で拾い切れていなかった誤字・脱字、用字用語の正誤、デザインの組版や版面、見出しと本文との整合性や固有名詞・事実関係・権利関係確認などなど)。

校正者、校閲者がいなくても実際には作品は仕上がりますし、「ライターの校正」だけで世に出る媒体も、もちろんあります。

なぜ「プロ校」が必要なのか?

では、制作会社がなぜ「プロ校」を必要としているのでしょうか?

手掛かりとして、「校正・校閲」に関する文章をある書籍から引用してみましょう。

「間違いがあってはならないのはどんな商品も同じです。(略)どんな組織もそんなことがないように取り組むのが当たり前です。新聞も同じです。(略)経営的にもつらいでしょう。校閲部をなくせば経費は減らせる。でも正しくない新聞は商品ではありません。紙面上は何も生み出していないと書きましたが、校閲部が関わることによって信頼が生み出されている、と自負しています。」(東京新聞・中日新聞編『校閲記者の日本語真剣勝負』   2019年)

皆さんは読んでみて何か感じましたでしょうか。
校正・校閲者がこのような文章を読むとしびれます。
校正・校閲は「信頼」という付加価値を生むという自負心。
ぐっときます。

しかし、言い換えるならば、校閲者には(もちろん校正者にも)「信頼という付加価値を生む」ことが、必ず求められるということなのです。

ある著名な校正者の方の書籍からも引用してみます。

「せっかくの言葉が、つまらないまちがいや不適切な言い方のために、誤解されたり、相手を傷つけたり、損害を被ったりしないように備えること。また、同じ内容や情報を伝えるのでも、よりいっそう言葉が生き生きと力を発揮して、相手に効果的に届くように工夫すること。その二つがあいまって、はじめて言葉の語り手(著者)を守り、受け手(読者)を守り、つなぎ手(出版社)を守るだけでなく、言葉(作品)そのものの価値を守ることができます。どんな言葉も生き生きと語られ、そうして相手にちゃんと届くこと。それが日々、本づくりの裏方で悪戦苦闘している校正者の願いです。」(大西寿男(おおにし・としお)『校正のこころ 増補改訂第二版:積極的受け身のすすめ』「はじめに」 2021年  創元社)

「言葉(作品)そのものの価値を守る」
「どんな言葉も生き生きと語られ相手にちゃんと届くこと。それが日々、本づくりの裏方で悪戦苦闘している校正者の願いです」

う~ん。泣けます。
これも言い換えれば、
「言葉そのものの価値を守れない人間」には「校正者としてやっていくのは難しい」ということです。
校正とは、「言葉」すなわち「日本語」の価値に関わり、それを守っていく仕事なのです。
(「校正・校閲」にちなんだ素晴らしい書籍やWebの記事は、まだまだあります。いずれ、このブログでも紹介していきたいと思います)

校正・校閲の価値とはあらゆる制作物の「品質を高める」ということ

いかがですか? 皆さんは、この二つの引用(転載に近いくらい大量の引用ですが、版元の方々、どうぞお許しください)文を見て、プロがやっている校正がどういうものかがなんとなく見えてきましたか?

ひとつ明確に言えることは、校正・校閲の価値はあらゆる制作物 の「品質を高める」ということなのです。そして、その校正・校閲の成果をあげるためには「プロの技術」が要るということなのです。(プロ校といわれる所以=ゆえんです)

このブログをご覧になる方の中には、おそらく「校正者志望」という方はほとんどいないでしょうし、「校正」にあまり関心がないという「ライター」志望の方もいるかもしれません。

しかし、前述しましたとおり、「ライター」を目指しても、「校正」はやらなければならない作業です。
「ライター」志望の方には「校正」は避けて通れないものなのです。
しかも、「ライター」は「校正・校閲者」に校正を依頼する機会もあります。

それゆえ 、「校正・校閲」がどういうものなのか、「校正・校閲者」がどういうことをしているのか、何を考えているのかを知っていて損はないわけです。

ですから、ぜひこのブログを見て参考にしてくだされば幸いです。
少しでもたのしんで読んでいただけたら――
「制作会社に一人だけ校正・校閲社員」の私も、うれしく思います。

というわけで、「ライター」志望の方やこの業界に入りたい、弊社に入りたいという方々に向けて――制作会社ノース・ヒル社内での校正・校閲の現場という立ち位置から――これから文章を書いていきたいと思います。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

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